4月の棚田
6月の棚田
 
2021.09.21

拙宅の近く、散歩エリアの水田が、田植えを始めたのは3月下旬から4月早々だった。その刈り入れが8月下旬にほぼ終わった。
4月30日に「樫原の棚田」へ来たときは、水張りが始まったばかりだった。つまり拙宅周辺の田んぼより、ひと月遅れだった。従って刈り入れもひと月遅れ、つまり9月下旬になると思った。
その間に何度か来たかったのだが、今年は雨が多かった。ここへ来るには、山間の細い急坂のある道を走らなければならず、危険があった。そしていつの間にか9月下旬になってしまった。これ以上遅らすと、今年の稲は刈られてしまうと想像できた。

この日も、予報はよくなかった。午後に降雨の可能性があった。
しかし朝は青空で、逡巡したが、降れば引き返せばいいと思い出発した。
結局終日降らなかった。来てよかった。


樫原の棚田に到着したときの空。



道路脇のベゴニア。6月に来たときも咲いていた。四季咲きなのだろう。





丁度半分刈り入れが終わり、半分が残っていた。稲架(はさ)掛けされた稲穂が美しい。昔は普通の風景だったが、わが家周辺の田んぼにはもうこの姿はない。収穫したらそのまま乾燥工場へ持ち込まれるのだ。
これは美味しいだろうなと思う。ここの米は確か予約制で、値段も高い。その価値はあると思う。入手方法を調べてみよう。


はさ掛けされた稲穂



彼岸花がきれいだ。




愛用している[相生緑茶][阿波番茶]の茶畑を訪ねた。予定していた。那賀町にある。帰り道、遠回りであるが逆方向ではなかった。





お茶の時季でないと思っていたが、作業をしている方がいた。



作業の内容について訪ねると非常に詳しく説明して下さった。残念ながら私にはその10%も理解できなかったのだろう。
私の理解では、茶の木を切り詰めているのは、ここから新芽が吹く、その時の全高を調整するためである。人が立って、手作業で「茶摘み」できる高さにするためである。(そう理解した)

(補聴器は常備しているが、常時装着するにはうっとうしい。もっと簡単=かつ有効な、ものが出来ないだろうか? 私はiPhoneでの電話会話は、ほぼ不自由なくできる。しかし持っている補聴器は、常備するにはうっとうしい。しかもiPhone通話ほどには聴きとれない。具体的に書くと***万円近いものだった。AppleやSonyが、この方面に目を向けないだろうか。決して小さい市場ではないと思うが。・・・
シャープの新商品は直ちに試してみたいと思う。)

(ついでに書くと「自動焦点合わせ」メガネ。
これは、らしきものは、劇場用に昔からある。カメラのオートフォーカス機能だろう。聴力補正より、実現は早いと思う。)


「帰り順路」で長生町のメガ・ソーラー発電所を訪ねた。予定した行程である。
田んぼをつぶして作ったものである。



私の散歩道、美しい田んぼに、こうしたものが出現しないことを願う。
山が削られソーラーパネルが貼りつけられるのを、恐れている。「再生可能な」エネルギー取得のために、「再生不可能な」自然環境、景観、生態系が、どんどん剥ぎ取られていく気がする。


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