2022年
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昨年1年間、田んぼをみた。
水田の風景を私は好きである。しかし60年前に「都会」へ出てから、連続的に「田」を見ることがなかった。
去年はただ「見る」だけだった。稲作についての知識がまったくなかった。今年はもう少し深く味わえるように思う。

父方も母方も、祖父母の代までは百姓だった。子供時代、母は里の叔父方へ田植えの手伝いに行った。「早乙女」といわれた。きれいな言葉だが、作業は腰を折っての辛いものだった。早乙女たちの田植写真が多く残っている。美しいと思うしなつかしくもある。しかし作業は大変だったのだ。

農耕は馬や牛がしていた。
通学路も、周囲は田んぼ畑だった。道路に馬糞や牛糞がころがっていた。荷馬車が現役だった。馬糞の臭いを私は好きだった。(牛の糞は苦手だった)
土手には山羊もつながれていた。鶏は多くの家が普通に飼っていた。わが家にも鶏がいた。冬には、抱いてやると温かかった。おとなしく抱かれている鶏と、いやがって暴れる鶏がいた。手をつっつかれた。
長谷川町子さんに、お客さんがあるとお母さんは、飼っている鶏の一羽を「さばいて」、歓迎する話がある。お母さんはごく自然にそれをしたが、町子さんは「私には絶対できない」と記している。
私の周囲でもそれは普通に行われていた。
しかしうちの家族には「絶対できない」ことだった。

さいわい徳島へもんて、田んぼの近くに住むことになった。
自分が計画したことでなかったが、人生がそのように流れ、私を徳島へ戻した。そのことを感謝している。毎日が楽しい。そして、日本の農業について、もっともっと知りたいと思う。

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