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妻に先立たれるとは考えもしなかった。なぜ考えなかったのか根拠はない。おそらく母(私の姑)が元気だったことだろう。お母さんの歳までは生きてくれるはずだった。しかし死んでしまった。

私は料理などしたことがなかった。
もともと不器用だし、妻の料理がこの上なくおいしかった。外食はほとんどしなかった。私は機械販売の会社につとめ、「経営者」にもなったが、お得意「接待」をほとんどしなかった。仕入れ先から「接待される」のもわずらわしかった。「外食」するのは家族か友人だった。(勤務先の都内は昼食時どこも混んでいた。並んで待つのがいやだった。席についても次に待つ人のいるのがせわしなかった。妻が弁当を持たせてくれた。あるいは近所の「米屋」さんが作る「弁当」を買った。これはお米が確かにおいしかった。そして私は「米」大好きの人間である。半分は仕事で外出していたのでその場合は出先それぞれの行きつけへ行った)。つまり私は、妻の作る以外のものを、食べる機会が少ない男だった。

私の「食事」に関する傾向は、次のようなものである。
1. なんでもおいしい。なんでも食べる。食べ物をまずいと思った記憶がない(唯一「脱脂粉乳」を除いて。あれはまずかった。しかし残したことはないデス)。
  好き嫌いがまったくない。おそらく親の教育と、幼少期の食料事情によるのだろう。私の子供時代は、好き嫌いをいえる状況でなかった。常に腹が減っていた。私は、「ひもじい」を、言葉でなく実感として知る、最後の世代かもしれない。
2. 同じものを、連続して食べることができる。カレーを朝昼晩3日連続して平気である。おでんを朝昼晩3日連続して平気である。野菜の煮っころがしも朝昼晩3日連続して平気である。(魚肉類はそうはいかないが)

妻にとって、1.は気楽だっただろう(何でも旨い旨いと食べるのだから)、2.は、妻が家を空けるときの負担を軽くしたと思う。大鍋にカレーかおでんをいっぱい作って出て行くのが常だった。
私はいい夫ではなかったが、こと食事に関しては「合格」だったように思う。そしてそれらが、現在の自炊生活を過ごしやすくしている。一人分作るのは、料理の単位として少ない。いつも1食では多すぎる量を作るが、私はそれを分けて、何度でも続けて食べることができるのだ。

私の料理の原則は、
1. 全部食べる。魚(小魚)ならアタマから尾っぽまで、も。野菜・果物は皮も。葉野菜は外側、大根は葉っぱまで。(詳細後述)
2. レシピ情報は重宝している。この選択にも原則があって、同じ料理であれば、
  (a)作り方の簡単な(=手間の少ない)レシピを選ぶ (=失敗の確率が下がる)
  (b)使う材料は単品を理想として、(大根だけ、とか、里芋だけ、とか)、できるだけ少ないこと。(〝だけ〟大好き人間である)
  (c)調味料も、種類が少ないレシピを選ぶ。塩と胡椒だけ、とか、醤油と砂糖と味醂とか。(多種類の調味料を準備すれば、個々は、結局古くなってしまう)
3. レシピにあるg数、%に従ったことはない。常に「適当」である。
4. 加工品(練製品、ソーセージ・挽肉等)は、原則使わない。(素材を使う)


[全部食べる]について
これは父母の教えである。「全部いただく」ことによって、必要な栄養をバランスよくとれると教えられた。母はそうでもなかったが、父はかなり厳しかった。私は鯵や鰯は20cmクラスまでは頭から全部食べるし、鮎はむしろそれが旨い。ハラは勿論だ。
この父母の教えは「マクロビオティック」の教えに同じである。(因みに私の子供時代、食べることを「いただく」といった。「いただきなさい」は「食べなさい」の意味だった。私は自分が作ったものを一人で食べる今も、「いただきます」と食卓に手をあわせる。「食前の祈り」である。食べ終われば「ごちそうさまでした」と、やはり手をあわせる)

=「マクロビオティック」サイトより=
[一物全体]
「一つのものを丸ごと食べる」という意味。野菜なら皮、根、種も含め丸ごと食べましょうということです。全体を丸ごと食べることでバランスがとれ、栄養学などでは分析できない、特別の働きが期待できます。
丸ごとといっても、米なら籾殻ごと食べるのは無理ですね。玄米がベストですが、胚芽米や分搗き米でもいいのです。穀類は精白したものでなく、小麦粉なら全体を使った全粒粉を使います。
例えば玄米は土にまけば芽が出ますが、白米は腐ってしまいます。それほど玄米は生命力があふれています。
魚も、丸ごと食べられる小魚を中心に。大きな魚はたくさん食べないほうがいいでしょう。

「マクロビオティック」は桜沢如一(1893年~1966年)の提唱によるものである。
父母もこの教えを知っていたのだろう。私はそのように育てられた。

その私が妻に先立たれ、自分で料理する羽目になった。何ができるだろうか。

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(魚の骨について)
私は勿論、嚙み砕ける骨を噛み砕いてしか喉に入れない。鯛の骨は小鯛でも硬い。鰻の頭も。カマスもそうである。それらの骨は避けている。
・ 魚の骨やエビの尻尾を飲み込むと食道を貫通し大動脈に刺さったり腸管を破ることがある
あくまで「噛み砕ける骨を噛み砕いて」ということです。
「歯」を大事に、大切にしています。
 
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