2021年 | |||||
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1月12日(2021年) 1月16日 1月25日 1月30日、31日(石積み学校) |
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私は昨年(2020年)5月に横浜市内から阿南市羽ノ浦町春日野へ移ってきた。私は徳島市内で生まれた。昭和20年7月4日のアメリカ軍大空襲で焼け出され、母方の伯父を頼った。育ったのは現在の阿南市黒津地町である。羽ノ浦は生まれ故郷と言うには少し離れているが、今は同じ市内になり、車では15分の距離である。「古里へもんてきた」と言って、間違いでないだろう。 拙宅のすぐ裏に[昔日の土佐街道 阿千田越え]のあることは知っていた。しかし実際に歩いたのはつい数日前である。こんなすてきなところがあるのだから、習慣的に歩いて観察したいと思った。なにしろ拙宅から阿千田峠頂上まで往復して、所要1時間10分である。自分の庭のようなものだ。このような、忘れられた古道を、整備して下さった民間有志の方々に、深く感謝する。 |
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まだ詳細マップを入手していないので案内板だけが頼りだが、ここが拙宅最寄の入口である。「南山峠口」とある。傾斜した、細い道だ。 中腹くらいにあたると思う。太い青竹が林立している。 竹の太さを想像して頂けると思う。筍の旨さも。 (4月花宴・ドラム缶薪炊きの案内) (3月にとぶ) 横浜の拙宅隣に孟宗竹があって、わが家へ侵入、筍を出した。きわめて迷惑なもので、仕切りを土中に設営したが、それでも防げなかった。しかしわずかな楽しみもあった。筍は見逃すと一夜に1m以上伸びるので油断ならないが、首を出した直後を発見して掘り起こすと、立派な「筍」である。それをそのまま(皮ごと、アク抜き不要)七輪の炭火で焼く。時間はかかるが、竹串が通れば出来上がりである。竹皮の中で筍は蒸し焼きされている。皮を剥ぎ取り、スライスして酢味噌で食べる。私が知る、一番おいしい筍の食べ方である。「ドラム缶 薪炊き」というのは、これをもっと大規模にやるのだろうか。いずれにせよ、必ず参加する。 ―――――――――――――――――――― 次回からはもう少しこまかく観察して報告します。 |
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1月16日 |
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12時56分に家を出て、立江寺へ向かった。いつも[あいさい広場]を利用している。その通り道である。 13時23分、立江寺着。所要時間27分。 帰路。13時46分、立江寺を出る。 来た道を戻ってもおもしろくないので、ヤマカンで細い道に入る。 あった! 迂闊にも、立江町の下の地名が見えない。視認したが、「柳ノ内」とあった。 県道28号線に出ると、詳細な案内板があった。実にわかりやすい。 徳島の水田が、出番を待って、息を詰めている。 しばらく歩くと、こういう案内板があった。 時刻14時29分。立江寺を出てから43分経過である。道を探しながら歩いたので、知った道とは歩く速度が違う。 [北口 青木]とある。 右の案内地図を拡大する。 こういう位置である。 おへんろさんへの案内。 梅がもう開花を待ち受けている。 小鳥たちの名も覚えなきゃ。これからは友だちだ。 帰着、14時45分。立江寺からの所要59分。 純粋距離的には帰路の方が短い気がする。次回は帰路のコースで立江寺へ行ってみる。 |
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1月25日(2021年) (この日の撮影はすべて逆光) |
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私自身がこの地へ来て半年余りなので、地理を詳しく案内することができない。 若干いい加減なところがあるが、ご自身のスマホマップとつき合わせつつ訪ねて頂きたい。また、拙宅がこの地から歩5分なので、立江駅・羽ノ浦駅からの行程を経験していない。(いずれやってみる) 上図の右は「西春日野住宅団地」である。 「南山」の地名の記された場所が、阿千田越え南山入口であり、案内板が立っている。 西春日野から立江側、田んぼのある方へ下りると、[Ohana Club](医療法人道志社 福利厚生施設)の大きい看板がある。(施設そのものはまだ動いていないようだ) その横の坂を下りる。 正面に高鉾山(と思う)が見える。 左側に案内板が立っている。 iPhoneのコンパスが正しいなら、こういう位置である。 古道は右の細い道である。(私は最初左の舗装道路を上った) 「急な坂はここだけですよ」の案内がある。これはやさしい。 その急な坂。 「のぼりはあと150mですよ。ここまで350m上ってきましたよ」の掲示。これもやさしい。 頂上 頂上の位置 月末30,31日に行われる「石積み学校」の教材だろうか。真新しい石が置かれていた。 (公報あなん 2020年12月号より) 結構歩いている人がいた。しかも足が速い。 左の赤い靴の人は走って来られた。私は一歩一歩土を踏みしめて歩く。 拙宅からの往復所要時間、65分。 いいところに住んだ。 |
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30日 [石積み学校] 私はこの日、8時30分に峠にのぼった。 すでに準備が始まっていた。 施行箇所に石が置かれていた。 始業前ミーティングの始まり 私はこの朝、もともと1時間ほどの滞在予定だったが、体に異変が生じ、実作業開始前に下山した。 31日(石積み学校) 立江側より上った頂上手前。 岩脇側より上った頂上手前。 2月1日 立江側頂上付近 岩脇側頂上付近 私は石積みについて語る知識がない。 作業をして下さった方々に深い感謝をしつつ画像を紹介するのみである。 幸い両日とも好天に恵まれ、何よりだった。 |
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3月16日 南山峠口より阿千田峠頂上へ向かう。 昨日は「黄砂」と思える浮遊塵が風景をかすめていた。今日は昨日ほどでないが、それでも遠景はぼやけている。 ほぼ終日くもり。しかし暗くはない。 1時50分に出て、阿千田峠へ向かった。 タンポポが咲いている。形から「日本タンポポ」と思える。 土筆も顔を出している。 阿千田峠頂上の「阿千田広場」では、もう一部の桜は咲いている。 「4月花宴・ドラム缶薪炊き」の準備だろうか。楽しみだ。 今日は初めて阿千田峠頂上から、「やまなみ遊歩道」を取星寺と反対方向に下りてみた。この道は舗装されており、峠頂上まで車で来られそうだった。しかし下からの入口を、私は発見できていなかった。 土佐古道は小松島市立江町、あるいは阿南市羽ノ浦町西春日野方面から阿南市羽ノ浦町岩脇へ抜ける。峠頂上でそれに直交し「やまなみ遊歩道」がある。岩脇へ向かって右折すれば1Kmで「取星寺」である。車は入れない。 左折すれば舗装された道路である。下りて行ってどこへ出るかわからないが、春日野から岩脇に向かって上り、頂上で左折して下りるのだから、岩脇よりは春日野に近い場所に違いない。何とか帰り着くことはできるだろうと思った。 途中で行き交う人に訊ねてみた。「この道はどこへ出ますか?」「春日野団地に出ます」という答えだった。私は安心して歩いた。距離は結構あったが舗装された道で、かつなだらかな下り道なので、楽だった。 桜並木があった。 ツツジの群落もあった。 道は杉や竹の生い茂った中にある。拙宅のすぐ近くにこんな道があるのは、楽しい。 途中に小松台広場というのがあった。標高67mと示されている。 よく知っている建物が前方に見えた。春日野団地というよりそれを出た場所であるが、十分歩ける距離である。 今日は1時間30分の散歩だった。 |
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3月17日 昨日歩いて下った道を、今日は車で確認しつつ上った。 道なりで阿千田峠頂上につき、車を置いた。 土佐古道を直交し、岩脇公園、取星寺へ向かう。 片道15分足らず、ゆっくり周囲を観察しつつでも50分程度の散歩道になる。緩い坂ではあるが上り下りがあり、私には適当な行程かもしれない。今後定番の散歩コースになるだろう。あるいは岩脇公園駐車場に車をおいて阿千田頂上を往復する、逆コースでももいい。 岩脇公園より。 黄砂が3日連続している。 岩脇公園のすぐ裏が、もう取星寺の境内になる。取星寺と明現神社は隣接しており、区別が(私には)あいまいである。神社とお寺が隣り合わせなのは、よくあるが、私は好きだ。 |
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4月9日 これはほぼ同じ場所からの風景を、たびたびアップしている。 立江町の田んぼの彼方に、上勝の山々がみえる。この場所は、実は「昔日の土佐街道」路上なのである。 山々の名を教える案内板が、目の前にある。 高丸山、(剣山方向)、高城山、雲早山、高鉾山、である。 水が張られた水田には、早速「アメンボ」が動いている。私の好きな虫だ。わが家のメダカ池にもやってくる。 「アメンボは、稲を枯らす害虫ウンカを退治してくれる益虫です。ウンカの幼虫が水面に落ちてくれば、その波紋を足で感じ取って近寄り、針のような口を差し込んで体液を吸ってしまいます。なので、水面に波を立てると獲物と間違えて近づいてくる習性があります。」(クボタの田んぼ) これは上の、山々を撮影した場所のすぐ近くにある案内板だ。この矢印は立江寺・立江駅方向を示しており、阿千田峠からすると反対方向、帰り道になる。 南山峠口から阿千田峠に登る。おいしそうな筍が、首を出している。 クサイチゴが群れている。かわいい。 近くに「苗代苺群生地」の案内板があるが、そちらはまだ出ていないようである。 頂上のサクラは完全に葉桜になっていた。 実においしそうな筍だ。私は筍を大好きであるが、こんなに立派なものは料理をしても食べきれない。第一、これだけのものを煮る鍋がない。来年は何とか挑戦しよう。 |
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4月10日 昨日の方が筍を届けて下さった! 茹であげて! 大きい方を嫂に届けた。 私は早速刺身(?)で食べてみた。美味しい! ああ、徳島は何といいところだろう! 徳島へもんて良かった! |
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5月23日 久しぶりに阿千田峠へ登った。最近は「田んぼ」に集中していたのと、雨が多かったので、山道は老人には危険だった。 こんな標識も、先日「中津峰山」でイノシシに脅かされたので、真剣に受けとめる。 今日は「苗代苺」を見るのが目的だった。 これが標識の周辺に広がる苺の群落である。 ところが PictureThis で点検してみると「フユイチゴ(冬苺)」と出る。 帰ってインターネットで調べてみると、この葉っぱはどうも苗代苺でなさそうなのだ。 例えば、「ナワシロイチゴ(苗代苺)とは?」 そして、「冬苺」は名の通り冬に実るので、この判定もおかしい気がする。 この苺についてはもう少し定期的に観察してみたい。 |
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6月29日 曇りだったが降る感じはなかったので阿千田にのぼった。意外に花はなかった。足下に小さい可愛い花々を期待したが、苗代苺も葉っぱだけだった。 頂上広場にヒマワリが植えられていた。 平気で棄てる人の心の荒涼を哀れむ。たんぼ道の農水路にも投げられている。悲しいね。 ヤマモモである。私の子供時代はこの時季の主要果物だった。今はもう、食べる人があまりいないのだろう。落果が足下に積もっている。「あいさい広場」で少し売られていた。私は買わなかった。次は買ってみよう。食べるとすれば60年以上ぶりになる。種が大きかったと思う。木も大木だ。彩果も大変なのだろう。日持ちしなかったと思う。すぐ食べないと形がくずれたと記憶する。 けたたましい声がしたので探したらメジロだった。 メジロのこのような声を、私は初めて聴いた。横浜の家にも、よく来ていた。そっとカーテンの隙間から見るのが好きだった。しかしこのように元気な鳴声を聴ける条件ではなかった。窓をあけるとすぐ飛んでいってしまった。 必ずツガイでいる鳥だ。 子供時代、早朝にメジロ捕りに行った。「とりもち」でメジロを捕獲し、竹製の四角い鳥かごで飼うのである。私自身はまったく不器用で、トリモチをつくる気が起こらなかった。ただ何度かメジロ捕りについていった記憶はある。みんなは捕ったメジロを大事にし、自慢し合った。餌も気持ちを込めてつくっていた。(まあメジロ君には迷惑な話だが) 間もなく禁止された。今はもうそのような遊びのあったことを知る人は少ないだろう。 私の1番好きな鳥は「雀」、次がメジロである。 |
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