2021.02.24

妻が、いよいよ死の近いことを知ったとき、このウグイスカグラを植えた場所を、病院食事メニューの裏に記した。「リボンをつけてあるからわかる」と言った。妻が死んでしまったあと、私はメモの場所を探し、そこにあるものをウグイスカグラと思いこんだ。しかしその低木が花をつけたとき、調べたウグイスカグラの花期に合わなかった。「リボン」もついていなかった。「枯れてしまったのだろう」と私は思った。妻が死んだのは8月、ことさらに暑い夏だった。庭はほったらかしだった。それどころでなかったのだ。木も花も、どうでもよかった。

拙宅の裏は傾斜地で、裏の細い公道に出るまで2段の擁壁がある。裏道に出るためには上りの石段がある。が、裏に出ることはほとんどなかった。
家のすぐ裏の擁壁の、そこにある土地はほぼなだらかだった。色んなものを植えた。
その上、2段目の擁壁、つまり公道に接した土地はかなり傾斜があって、歩けるようになってはいたが、転落すれば危険だった。雑草や笹類の整理も、年2回、植木屋さんにやってもらう以外、自分では手をつけなかった。

そういう場所で、あるとき「リボン」のついた、小さい木をみつけた。木というより草花に近かった。私でもこわい場所だった。尻を土につけて、でなければ近づけなかった。それがウグイスカグラだった。花はなかったが葉を撮影し、調べて確認した。何よりも「リボン」がついていた。

もう、ものを植える地面は、わが家に残されていなかったのだ。
それにしても、目の弱い妻が、どういう姿勢、どういう気持で、この木をこんな危険な場所に植えたのか。せめてなぜ、私に頼んでくれなかったのか。
その早春、横浜にしては大雪が降った。ウグイスカグラは押しつぶされ、先が地面についていた。私は起こし、添え木でつっかいした。
春だった。そのうち草と笹が生い繁った。ウグイスカグラはどこにいるのかわからなくなった。

植木屋さんに刈られないよう、神経を使った。植木屋が入る前に意を決して付近を整理した。元気なウグイスカグラを見たときは、嬉しかった。そして「リボン」の意味が、「私を刈らないように」との、植木屋へのサインであると知った。

その、横浜から春日野へ移植したウグイスカグラが、今朝、花をつけていた。


花のうしろの白いものが、妻の結んだ「リボン」である。

去年、横浜にいたとき写した画像がある。

3月23日の撮影だ。
丁度ひと月後である。春日野でもこれから、青い葉を出してくれるのだろう。

春日野3月19日、葉が出てきた。

 
 
 
妻がウグイスカグラを植えていた場所
2021.03.24撮影


この擁壁の上側、ぎりぎりに植えられていた。傾斜地であり、雑草が生い茂っている。そのさらに上にサザンカの生垣があって、外は1車線のみの市道である。一方通行にしないのは、付近住民しか使わないし、それなりの迂回方法があるからだ。
この場所は、足を滑らせたら転落した。私が横にいたら、止めろと、怒鳴っただろう。
いまだに、なぜあんなところへ植えたの?と妻に問いかける。
    
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