2021.08.01



横浜の家は、裏が上り勾配の傾斜地になっていた。昭和36年(1961)に完成した住宅地で、私が先住者から譲り受けたのは1982年(昭和57年)である。横浜の常として平坦地でなく、拙宅の標高は37.5mになっている(地理院地図・電子国土Webによる)。拙宅の裏道が、この丘の一番高いところだった。丘を削り、凹んだ場所へは盛り土し、宅地としたのだろう。従ってわが家の裏側にも、素性を示す岩石があった。地面は基本的に固かった。土砂崩れの恐れはないと思っていた。
その岩間に、このサルスベリは自然発生していた。

小鳥が運んだか、風が運んだのか。
花を見つけた私は、てっきり「草」と思った。それほどか細かった。画像をGooに送り、教えを乞うた。「サルスベリ」との回答をいただいた。その頃はまだ、花を調べる便利なソフトを知らなかった。それが岩の間で、細々と生きつづけた。妻はこの花を見ていない気がする。見ていれば何かの言葉を残したはずである。妻が死んだのは真夏であり、この花は真夏に咲く。妻が一番苦しんでいたとき、この花はひっそり咲いていたのかもしれない。

横浜から春日野へ、50鉢近くの花木を移した。
その中にこのサルスベリも入っていた。私は生きて移植できると期待していなかった。なにしろ岩間から生えている。根を傷めることなく採取できると思えなかった。

いっぱいの鉢のうち、1鉢だけが枯れた。これは想像以上の好成績だった。横浜のこの地に住んで以来ずっとお世話になった細野さんが、丁寧に採取してくれたおかげだった。枯れたものを私はサルスベリと思っていた。

ところが5月はじめ、それまで何の木かわからなかった落葉樹が芽をふき、葉を出した。



私は PictureThis というソフトを発見し、iPhone に導入していた。これは花だけでなく葉から、その草木の名を知ることができる。散歩を楽しくするツールだった。答は「サルスベリ」だった。私は最初信じられなかった。インターネットでサルスベリを検索した。まちがいなくサルスベリの葉だった。私はとびあがるほど嬉しかった。

ところが、それじゃ枯れた木は何だろう?
最後まで顔を見せない木があった。それは八重の山吹である。一重のものは健在だった。
八重の山吹は、横浜にまだあることがわかっていた。次の機会に移植すればいい。それにしても丈夫な山吹が枯れ、無理と思っていたサルスベリが生きたのは、どういうことだろうか。サルスベリ君が、私について来たかったのだと思う。

優しい色をしている。
    
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